悲しい年末。或るブロガーの急逝。

花うさぎさんが突然亡くなられた。脳血栓で倒れたとの第一報に接しても、必ず回復するだろうと安心し切っていた。ツイッターでしばりょうさんという方が花うさぎさんのご子息の書き込みを教えてくれた時だった。
そして2日後の12月27日、病院にお見舞いに行こうかと、場所などを訊くためにご子息に電話をすると、突然、亡くなられたことを告げられた。
驚いたのはもちろんだが、悲しくて悲しくて仕方がない。ご子息との会話は、こみ上げてくるもので何秒も中断せざるを得なかった。こんなに悔しいことはない。彼との約束が果たせていない。慙愧の念に堪えない。
彼と初めてお会いしたのがいつだったのか、確かな記憶はない。
少なくとも5年前の平成18年(2006)、その頃には「花うさぎ」というハンドルネームで、彼は幾つかの人気ブログのコメント欄に登場していたはずだ。
自然と言葉を交わすようになったのは、私が講師として、あるいは取材者として参加する様々な集会やシンポジウム、そしてデモの現場で彼といつも顔を合わせるようになっていたからだ。
やがて安倍政権が倒れ、福田内閣が成立して暫くしてから、更新頻度が落ちた私のブログに彼がトラックバックを時々送ってくれるようになった。「花うさぎの世界は腹黒い」が誕生した瞬間だった。
平成21年(2009)にNHKの「JAPANデビュー」問題でNHKへの抗議活動が盛んになると、頻繁にお会いするようになった。その頃から彼のブログの質的充実は目を見張るようになった。彼は、いつも取材現場で熱心にメモを取り、写真の撮影を行っていた。そして、読者をどんどん獲得していく様子が手に取るように分かった。
フェアな視点と独特な平衡感覚で、客観的に自らが参加したイベントやデモを報道するようになっていったのだ。それは、既存メディアが決して報じない、日本人の愛国者たちの政治活動を丹念に、冷静にフォローすることを意味していた。
「もうブログやめちゃったんですか? 好きだったのに、残念ですよ。ツイッターやフェイスブックに移っちゃったんですか?」
彼に何度かこう言われた。
「いやぁ、また再開しますよ」と返事をしたものの、その約束も果たせていない。
彼の写真は構図といい「ピン」といい素晴らしいものが多かったので、何回か「撃論ムック」に使わせて頂いたこともある。
「もうちょっと日本がマシになったら、ゆっくりお酒でも飲みましょう」
こんな会話もしていたが、その約束も果たせていない。
「正月になると孫がいっぱい来て大変ですよ」と嬉しそうに語ってくれたこともある。
花うさぎさんは、本当に純粋で真面目で、一本気で、誤魔化しが大嫌いだった。
ごく普通の日本人が、普通に、常識的に、穏やかに、日本を愛していただけだった。
彼のそんな素朴な感情が、怒りと疑問に満ち溢れて毎日ブログを書かなければいけないほど、現在、私たちの国は異常な状態になっているのである。
花うさぎさん、お疲れ様でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。


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